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きっかけは、中国人アルバイトからの誘いだった。
彼を社長にすえ、徹底した「経営の現地化」で成功した。
日系企業の間で、「異色の成功」と、話題になっている企業がある。モーター・スピーカー・などの生産に使用される電源装置・磁気測定器などを製造販売する「上海平野磁気有限公司」だ。中国・上海への進出は1994年。中国に進出した松下電器・三洋電機・パイオニアなどの家電メーカー向けを中心に販売していく計画で進出したが、案に相違して数年間は鳴かず飛ばずの状況が続いた。しかしここ3,4年で販路を地元企業に拡大、クライアントの6割を現地企業が占め、売上げは過去3年間で3倍に伸ばすなど完全に発展軌道に乗った。
「上海平野磁気」が「異色」というのは、単に売上高の順調な拡大を指しているのではない。それは進出企業の悲願である「経営の現地化」に成功したことにある。総経理は進出企業では異例の中国人であり、50人のスタッフのうち日本人スタッフは僅か3名、しかも3人とも現地採用だし、法人登記も中国企業だ。異例の成功といわれる「上海平野磁気」だが、会社設立のきっかけは、なんと中国人アルバイトの誘いだった。
「上海に遊びに来てください」
92年の春、東洋磁気工業株指揮会社(東京・練馬区、当時)で、2年前までアルバイトをしていた中国人の呂振から、社長の平野信幸に一通の手紙が舞い込んだ。中国に帰るからとアルバイトを辞めてから2年間、全く音信のなかった呂からの誘いに、始めは奇妙な思いも抱いた。しかし、取引先である電機メーカーが中国進出を視野に入れ始めたこともあり、平野の中国に対する関心は高まっていた。
「行ってみるか・・・・・」。平野は素直に呂の誘いに乗って上海に出向いた。
2年ぶりの再会を喜びながら、呂は真顔でこうきりだした。
「世界中から一流企業が続々と進出し、上海は大発展をしています。
しかし中国は磁気産業が遅れている。磁気産業に取り組めば成功する。
会社をつくりたいんです・・・・・」
このとき、呂は31歳。平野41歳。上海の"熱狂"と呂の"熱意"に背中を押されるようなエネルギーを感じて、平野は中国進出を決意した。
とはいうものの、中国ビジネスは未経験である。勇んで中国へ進出したものの「トラブル続きで本業に打撃を受けた」、などの悲惨な例が頭に浮かんでは離れなかった。
そこで平野は進むべきか留まるべきか考えあぐねた末に、上海訪問から2年後の94年、呂個人に投資する腹づもりで「上海平野磁気有限公司」の設立に踏み切った。慎重なスタートだった。この年は中国政府が民間資本による会社設立を認めた年であり、同社は上海で3番目に認可を受けた公司となった。
しかし、呂の意気込みとは逆に、それから数年の間、日系企業からの受注は思ったほどなく、業績は伸び悩んだ。当時、日系企業は部品の現地調達にそれほど関心を抱いていなかった。つまり、日系企業の生産とは言え、あてにしていた日系家電メーカーは中国製品を信頼しなかったのだ。しかし、この逆境が平野に考える時間を与えた。
「今の成功は時間をかけたからだ」と、平野は言う。本格的に平野が動き出す99年までの5年間、平野は呂と中国人スタッフの育成に励んだ。中国人と交渉するには、中国人同士に勝るものはない。現場での交渉を100%任せるためにも、平野は会社のトップを呂にしたいと考えた。そのためにも呂と完全な信頼関係を築くことを決意し、呂のビジネス感、そして人生観とも戦い続けた。
中国人は自分の仕事を人に引き継ぐことを嫌う。自分のテリトリーを守っていなければ、自分の存在が消滅してしまうと考えるからだ。仕事を教えることも嫌う。呂も同様、仕事を人に任せること、「仕事を覚えたら辞めていくから」と嫌がった。
しかし、組織の責任ある立場の者がこうでは会社の発展はない。平野は呂に「人を増やして技術を教えなさ。営業を担当者に任せなさい。経理を雇って任せなさい」と、言い続けた。
また、当時広く日・韓・台や欧米企業に取り入れられていた従業員に対する「罰金制度」を廃止し、「褒賞制度」を取り入れた。不良品を出せば罰金、遅刻をしたから罰金という発想は従業員から仕事へのヤル気を奪う。褒賞というアメを与えたほうが、仕事の動議付けになると知ったのだ。
呂が意識を変えたとき、マーケットが一気に広がりました。同時に呂は大きく成長しました」と語る。
現在、平野は会長職の「董事長」の肩書きを持っているが、現場を指揮する「総経理」は10年前まで日本でのアルバイトだった中国人の「呂」である。
●任せることが発展につながる●
「任せることが発展につながる。」それが平野の哲学だ。
そして、2001年1月「上海平野磁気」は1400平方メートルの広さをもつ新工場に移転、その後一気に事業を拡大していった。同年8月には華南(シンセン)に営業所を開設。中国国内の磁石産業や磁気応用(モーター・スピーカー等)産業の発展にあわせて、本格的に現地企業向けの営業を充実させていく計画だ。また寧波や上海・杭州・西安・広州・・・・と各地の展示会に出展し、現地での認知度を高めている。
中国でのビジネスの問題点で必ずといってよいほど耳にするのは代金回収問題だ。「中国の経営スタイルが、まだグローバル化していないから・・・」などということをよく聞くが、それは違うと平野は声を大きくした。「日本のルールがグローバルというわけではない。手形支払いなど世界に通用しない慣習も沢山ある。中国でビジネスをするなら中国のルールでたらなければならない。」そう語る平野は、どんなに大きい企業であっても、支払い条件は注文時50%、出荷時時に残りの50%と中国流を押し通す。
これまで取引が途中で中止になったのは1件のみ。「回収の心配は全くしていません」と胸を張る。
現在、中国の磁気業界は平野の会社が独占的に事業を進めているが、「顧客は前金を支払うのですから、払う側にも信用されなければなりません。そのためにも、事業を継続して長くやっているということは大きな強みになっています」と自信を見せた。そして今では、本業の磁気関連設備だけでなく、冶工具やその他生産設備などの協力依頼を受けている。本社からのコストダウン要求と中国ビジネスリスクとの間で、苦しい決断を迫られている日系企業のスタッフを少しでも応援したい考えだ。
今年で、51歳になった平野は、「上海にきて何が良かったかというと、夢を見られること。この年でも夢を追いかけられるということはすごく楽しい」と目を輝かす。チャンスはたくさんある。「語学力は絶対条件ではない」という。平野自身、中国語は殆ど話せない。「今の中国はあまりにも急激に伸びすぎて中間管理職がいない。現場管理をサポートできる人はチャンスが多い。」スキルが買われれば通訳もつく。給料についても「毎月の生活費は2~3万円で十分。10万円もらえば7万円残る。こう考えれば中国で働くのも悪くないのでは」と話す。実際、上海平野の日本人スタッフに給与は1万元(15万円)だが、10万円を余す生活だという。
平野は「上下関係ではなく、同じ夢を見るパートナー関係になる」これが信頼関係を築く秘訣であり、成功の「鍵」でもあるという。呂の夢は、合弁会社設立と中国の株式市場上場の二つ。合弁会社の設立は昨年、日本電磁測器との共同出資による「上海瑞穂磁気」設立で、実現した。今は第二の夢である中国の株式市場上場を目指し、日々前進している。
上場のための事業拡大に向け、「平野と呂の二人三脚」は続く。
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