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| T.SARS発生における日本の対応 |
| 03年4月に香港における集合住宅での感染が報道されたのが、発端となったSARSの社会的問題は、日本社会の「危機管理に対する怠り」を、曝け出してしまった。
インターネットの普及により、世界各地で起きる出来事が、リアルタイムで報道され、誰でもが何処でもその情報を入手することが可能な時代となった。この有益性に反するように、その情報に対する、分析能力や適応力を社会システム全体が失っているように思える。 多くの情報に触れることで、その情報の本質が見えなくなり、過剰反応を誘起しているのではないだろうか。政府機関を初めとして、あらゆる組織や団体、そして社会と個人に及ぶまで、それぞれの立場・状況に応じた、個々の価値観・信念が忘れさられている。 情報過多の状況の中で、我々が最も留意しなければならないのは、「未知なものに対する、恐怖のコントロール」である。未知なものが危険なのではなく、その恐怖によって起こされる行動と判断が人々を危険に陥れることである。 情報の収集は重要なことではあるが、悪戯に情報に踊らされ過剰反応をしている現状は、「追い込み漁に嵌った雑魚」にも、等しい振る舞いではないだろうか。 機敏な適応能力とSARS発生における今回のような対応を、同じ次元で論じるべきではなく、そこには大きな隔たりがある。「その隔たり」の根本的要因は、日本社会システム全体が、「危機管理に対する思考停止」と、見て取ることが出来る。 「個人は組織を、組織は社会を、社会は国家を」と、自分が属する上部団体に過大な依存をして、判断・決断を下すべき責任者は、情報・社会の潮流に流され、自らの価値観に基づいた対応を行ってはいない。従って、来るべきその結果について「自己責任を認識することもない」であろう。結果責任は他に転嫁をして自己満足し、そして「この悪癖は繰り返される」と、思われる。 今回のSARS騒動が鎮静化した後で、その社会的影響の甚大さに言及し、そしてその対応の是非について議論され、「その結果について責任の所在を明にされることはない」であろう。 「危機管理に対する思考停止」は、強く「責任の回避に連鎖された」社会的現象である。 |
| U.中国における危機管理 | ||||||||||
| 個人や社会は、責任転嫁で自己満足出来るが、企業は自社の対応を他に責任転嫁することが出来ても、その結果については全責任を負わなければならない。結果責任を負うからには、企業の判断は自社の経営的価値観に基づいたのもでなければ、その結果について「大きな悔いを残す」ことになるであろう。習慣や文化の違う中国における事業は、様々な状況に対して対応すべき危機管理がいかに重要であるか、今回の混乱で「明確になった」と、思われる。 <危機レベルの設定>
中国進出の形態、事業内容等によって、それぞれのレベルでの対応は異なると考えられるが、その想定においての対応内容を文書化し、組織全体に周知させることが必要と考えられる。 また、レベルの設定を独自に発動する機関を設けて、「何時、誰が、決断し、どのような手段で指示を行うか」を、徹底させなければならない。 これは、各企業の価値観に基づいて行わなければならず、これが無かったために、駐在員家族の帰国や、駐在員の誰を、何時、帰国させるかで、大きな混乱が生じた。また、その判断基準を外部に求め、政府の発表や他社の動向に左右されたために、駐在員にも大きな精神的負担を強いる結果となっている。 |
| V.現地での対応 | ||||||||||
危機レベルを設定すると、現地での対応が如何に重大な事項であるか明らかとなる。
資産の保全や資産管理の必要な事態においては、自社スタッフが駐留出来ない状況も想定される。特に独資進出の企業は、その対応手段は限定されると思われ、今後、日本の企業間において、危機管理組織の設立等の準備を行うことも検討されるべきであろう。 合弁形態の企業においては、相手企業との間に緊密な信頼関係の構築が急務であり、独資企業においても、中国人スタッフの育成と信頼は重要である。 政府の要請ではなく自己判断によって、中国進出を実行している以上、危機管理体制も国家政府に依存することなく、各企業の自己責任において確立されなければならない。 |
| W.中国の今後 |
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今回のSARSの問題で、日本では「中国リスクがクローズアップ」された。この潮流はSARSが沈静化しても、当分は継続すると思われる。振り返れば昨年より、世界経済の低迷の中で、中国のみが10年連続の約8%成長を遂げ、「中国脅威論」、「デフレ輸出」、「人民元の切り上げ」、「投資の中国一極集中」等々、中国への攻撃(したい)状況が高まっていた。 その中でのSARS騒ぎで、「中国バッシング」が噴出し、今回のような過剰反応が起きたのではないかと推測される。この数年、「アンチ・チャイナ論者」は発言の機会を失われており、やっと自分の出番が来たと勢いづいている。一度流れだしたこの状況を止めることは、極めて困難となるであろう。 上海では、APECを転機として、「北京オリンピック」、「上海万博」等の国際イベントが決定し、94〜96年当時のようなビル建設と不動産ブームが沸き起こっている。日本でもこの数年、マスコミに中国が毎日のように取り上げられ、その加熱した報道には一抹の不安を抱いていた。 今回の騒ぎで、犠牲になっている方は気の毒ではあるが、「中国にとっても、日本にとっても冷静になれる機会が得られたのではないか」と思う。 1990年代の初頭、強くなりすぎた日本経済に対して、世界中から「じゃパンバシング」が起り、その結果10年経過してもなお日本の経済は復活出来ない状況であり、その影響は世界経済の足枷にもなっている。過剰で過激な個別的バッシングは、世界の為にならない事を日本は身をもって経験しているはずである。今こそ、その経験を活かし、日本が中国に対して「何をすべきか」そして、「何をしてはいけないか」、を、真摯に考えなければならない時である。 海外からの投資は一時期減速するであろうが、世界の情勢をみても、中国の状況から判断しても、今後数年間は中国の経済成長は継続すると思われる。そして、更に日本にとって、貿易の相手国として「その地位は揺ぎ無く、重要である」ことに、変わりはない。 今後、勢いづくであろう「アンチ・チャイナ論者」の発言に惑わされること無く、「自らの価値観に基づいて、中国を見る目が肝要となる」であろう。 |
| < 雑感 > | ||||||||||||||||||
| 「SARSが何故これほどまでに社会問題化しているのか」、「中国バッシング」と「インターネット情報」によるのが、その大きな要因ではないかと思われる。インフルエンザは、1918年の「スペイン風邪」から始まり、過去から現在においても、その発生・感染は常に未知なる疾病である。特定されないインフルエンザによって、日本では毎年2,000人近い人が亡くなり、世界では10万人以上の人が死亡している。そして、これらのインフルエンザとSARSの違いがどこにあるのか、残念ながら見えてこない。これも社会全体が冷静さを失っている証左ではないだろうか。「感染力が強い」と言われるが、毎年流行するインフルエンザにおいても、会社スタッフの殆どが、あるいは家族全員がそれに感染することは、特に珍しいことではない。 「死亡率が高い」といわれるが、死亡者の殆どは合併症で亡くなっていると報道されており、健康な人の死亡率は報道されてはいない。勿論、これまでのような報道が、「感染拡大を防止している効果がある」ことを否定しないが、駐在員の帰国や帰国後の自宅待機などの過剰反応とも思える社会的現象が、経済に及ぼす損失は計り知れない。人命を軽視するものではないが、千年に一度、遭遇の可能性がある地震に、「多額の保険を掛けて続いるようなものではないか」と、疑問を持たざるを得ない。友人・知人・取引先に上海の現状の問い合わせが多くよせられ、駐在員の帰国についてのコメントを求められる。そして「貴方はいつ帰国するのか」と問われる。 このとき、私には明解な答えを準備している。 「上海領事館が開いている間は、帰国しません。」如何なる状況においても、「自らの価値観によって決断し、行動すべきである」と、再認識させられた、騒動である。 <過去の命名されたインフルエンザ>
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| T.異文化であることを理解する。 | 「SARS騒動」によって、これからの中国進出が「如何にあるべきか」、企業の理念が問われる結果となった。中国進出決断の過程において、その目的を明確にし、それを社内に浸透させていた企業は、係る状況において、「引くも、残るも」、その判断に大きな混乱は生じなかったであろう。
しかし、「中国進出の目的」が曖昧であった企業にとっては、「青天の霹靂と運命を呪い」流される情報に右往左往し、政府の姿勢、他社の動向、WHOの判断を頼りにして、「決断しない、決断出来ない、」責任を、外部に転嫁していたことは明白である。 今回の騒動を、「これからの中国進出に、如何に生かすか」日本企業はその姿勢を問われており、またそれが出来る絶好の機会を得たと、捉えるべきであろう。 T.異文化であることを理解する。 中国進出において、最も重要なことは、中国は日本とは異なる文化を持っている事を認識することである。これまで異国・異文化の土地で事業を行う事を、余りにも安易な目的で、安易に判断して来たのではないだろうか。 多くの企業が中国進出を果たし、そして中国に市場が移り、また今後巨大な市場が出現する可能性があり、それらの動向に対する「マスコミの加熱報道に乗せられた実態は、少なからずあったであろう」と、思われる。 そして、安易な決断の根底には中国の、経済力・文化・人民に対する軽視があることは否定出来ない。ここに大きな誤算の要因が含まれていることを留意しなければならない。 残念ながら、中国における多くの日本人の姿勢は、外国において「事業をさせてもらっている」との意識が乏しい。ややもすると、「強者の論理」が先行し、中国の習慣や文化に添って、対等に接しようとする気持ちが欠けているように見受けられる。 「持てる者」の驕りを捨て、真摯は態度で中国と対面しなければ、今回のような状況において、企業の取れる選択肢は極めて限られたもとなるであろう。企業は、どのような状況においても、その結果について、責任を負わなければなない。心情的な同情を受けることが出来たとしても、それは精神的負担を少しだけ、和らげてくれるに過ぎない。 中国には日本とは異なる習慣があり、文化があることを理解して、初めて信頼関係を築くことが可能となり、危機管理に対する対応に、様々な選択肢が取れるようになるのである。 |
| U.中国進出の目的を明確にする。 | 中国進出において重要なことは、「進出目的を明確にする」ことである。そして、その目的を企業内に広く浸透させるとこが肝要である。
社会情勢に流された、「事業方針」と「経営責任者の理念」そして、「現地スタッフの考え」に乖離があっては、日常的業務はおろか、今回のような状況においては全く動きが取れず、その対策は後手後手に回り、混乱を生むばかりである。 「価値観の喪失」は社会的現象と思われるが、それが事業経営にも波及し、「責任転嫁」に対する風潮に慣れ過ぎて、それに疑問を感じなくなり、モラルハザードを起こしているのではないだろうか。 企業の中国進出においては、それぞれの企業の業種や規模によって、その目的は異なる。コスト削減や市場拡大・市場獲得、あるいは事業の継続等を目的として進出を実行されている。そして、「その目的を如何に明確にするか」が、重要となる。 「進出の目的」は、「自社の企業理念」の延長線上になければならず、それは企業経営者の「志」によって、決断されていなければならないだろう。企業が理念を失うと言うことは、その代表者が「志を持たず」、「社員はモラルを喪失する」ことになる。 SARS騒動の中で報道された、「感染地域からの訪問者の宿泊お断り」や、「感染地域への飛行機運行停止要請」などの発言が、現在の日本社会で一部であっても受け入れられているのは、「企業の理念と志」が失われている証左であろう。これが、過去の情報隠匿を生む温床となり、その隠匿の崩壊によって、幾つもの歴史ある企業が社会から拒絶されて、消滅していったのは遠い過去の話ではない。 「価値観や理念、そして志」に基づいた、「中国進出の目的」でなければ、進出は一過性のものとなり、状況の変化に対応出来ず、撤退の憂き目に合うことになる。 「企業理念や志」は、企業活動の重要なバックボーンであり、これが明確であれば風潮や風説に惑わされることなく、その判断に迷わず、一貫性のある行動が取れるであろう。 |
| V.情報収集の重要性 | ||||
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| W.権限の委譲 | 中国進出でおいて、今回のような状況はこれが初めてではないし、終わりでもない。その時、どのような対応をすべきかは、事業内容や規模によって異なると思われる。しかし必要なことは、正確な現地情報の入手と、素早く明確な指示、そしてそれを実行可能にする体制である。
それを可能にするには、現地スタッフの信頼関係の構築と権限の委譲が重要である。日常より信頼できるスタッフを育成し、権限の委譲を実行しておけば、仮に駐在員の引き上げを決断しなければならない状況においても、事業体制の維持管理に対する不安を軽減することができる。 人との信頼関係は一朝一夕に出来るものではなく、また一度築いた信頼関係は、簡単に崩れることはなく、大きな困難をも乗り越えることが可能となる。 |
| X.危機管理 | 今回の騒動を教訓として、「危機管理体制」を速やかに構築しなければならない。 その体制は中国の法律に基いたものでなければならず、それは中国の文化を受け入れることに他ならない。 (危機管理の詳細は「中国レポート」No.15をご参照下さい。) |
| < 雑 感 > |
日本と中国の習慣・文化の違いで、興味深いことを、教えてもらった。 風邪をひいた時、日本人は周りの人に、感染させないように「マスク」をする。 中国では、自分が感染しないように「マスク」をする。 同じ「マスク」でもこのように、それをする人の意識・意図は違っている。 どちらが正しいか、正しくないかの問題ではなく、その違いがあることを 理解することが必要なのである。 <SARS騒ぎの中での、ある出来事> 中国人のスタッフが「マスク」をしないで、自分の前に立った。 彼(日本人駐在員)は、「マスクをしていない」スタッフを、不謹慎と叱咤した。 中国人の「マスク」は自分のためであり、相手への心づかいではない。 これは「マスク」をして会う相手に対して、「私はあなたを信頼しておりません」との、 意思表示にもとられる可能性がある。 従って、自分の上司や信頼する人の前で、「マスク」をすることは、「無礼」な行動となる。 この文化の違いを認識しなければ、信頼関係の構築は困難となる。 日本の文化を押し付けてはならないし、自分の価値観だけで判断してはならないことを、改めて知らされた逸話である。 「他人を思いやる」日本の文化も、「大切に受け継ぎ、伝えたい」と、希望している。 2003年5月31日 |
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